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2019年7月24日 東京入国管理局 面会記録

2019年7月24日 東京入管

Lさん 中南米出身

 

「本の差し入れありがとう!とっても嬉しい。本大好き。特に、『~(特定の書名)』が嬉しい。探偵ものもいいわね。」

「普段は入管の中にある本を読んでるの。最近はイスラムの本とか。いろんな考え方があるわね」

「この間、親子面会(※)ができたの。一番下の息子は、お母さんは悪いことをしたの? って…。入管職員を恨んで、憎んでいるようなそぶりも見せるわ。職員をにらみつけたりして。私は、その人たちは仕事でしているだけで、悪いことをしようとしてやってるんじゃないからよしなさい、と言い聞かせようとしたんだけど、子どもに理解するのは難しい。

子どもたちの胸や頭の中に、(社会や人に対する)憎しみや不信の種が植え付けられているようなの。かわいそう。子どもは幸せでいるものよ。私が子どものころは、そんな重荷を背負う必要はなかった。どうにかしてあげたいけど、私がこんな状態じゃむずかしい。子どもたちがかわいそう…。」

 

「前は、私が帰る時は仮放免の娘も一緒に連れて行かなきゃダメと入管は言っていたんだけど、今は、私が帰ったら仮放免の娘と息子にビザを出すと言ってるの。言ってることがコロコロ変わるし、子どもたちにビザを出すと言っているのも、(子どもたちのためを思ってではなく)まだ若くて、これから働かせることができて国の役に立つからというだけでしょう?税金のためだけよ。」

「日本には数十年近くいる。ほとんどの期間を仮放免のまま、主婦として子どもたちを育ててきた。それからいきなり収容されて、もう数年になる。仮放免でいるのにも、収容所に入れられるのももう疲れた…。まるでエイリアン扱いよ。」

「娘がいま高校3年生だから、卒業を見届けてから母国に帰ろうと思ってる。だから、娘が高校を卒業したら帰るから、それまで子どもたちといさせてほしい、一度家に帰してと頼んだんだけど、入管は(母国に)帰らないとダメとしか言わないの。」

「一番最初の夫が、私のビザを取得するための弁護士を雇ってくれなかったの。もしあの時に弁護士を雇えてビザを貰えていたら、今頃は……。オーバーステイって、法律違反かもしれないけど、だからってどうして日本の社会の一員として生きていくチャンスをもらえないの?

私は日本で子どもを生んで、子どもたちを育ててずっと生きてきたのに……」

 

「私たちをここに閉じ込めるのに税金をたくさん使ってる。食べさせなきゃならないし、病気の世話も必要。糖尿病でインシュリンが必要な人もいるし、一錠500円くらいの薬を飲んでる人もいる。解放すれば、みんな自分で自分の世話をするわ。どうしていつまでも税金でこんなことをしているの?」

 

「私みたいに、2年とか3年とか入れられている人を見て、1年から1年半くらいの人は母国に帰る人も増えてる。ここで行われているのは abuses of human rights。私たちは人間としての権利を奪われている。入管は間違ったことをしているのよ」

 

Lさんは、辛い状況の中でも、いつもほがらかさを保って冷静に話をしてくれる人です。けれどこの日は、子どもたちへの心配な気持ちや、自身への人権侵害への怒りを言葉の端々に滲ませていました。当然の怒りだと思います。収容されている人たちの置かれている状態は、耐え難いほど不条理です。

 

※親子面会とは、透明なアクリル板の仕切りの無い部屋で、収容されている親と子どもが直接触れ合ってできる面会のこと。東京入管には親子面会のできる部屋は1部屋しかなく、しかもその部屋を使用できるのは午前中だけ。

親子面会をするには、数週間前から申し込みをする必要がある。申し込みをしても、面会者が午前中の面会申し込み時間に間に合わないと、親子面会ができなくなる。

 

Bさん 東アジア出身 

2019年7月中旬~ハンストを始めた。面会をしたこの日は数日以上後でした。

 

Bさんは、ほっそりした静かなたたずまいの人で、受け答えはしっかりしています。収容の長さの話になると涙ぐんで話していました。

Bさんが収容されて、もうすぐ3年以上になります。

 

・体重 ハンスト前から5㎏ほど減った

・体調

「大丈夫。ただめまいがある。あと、たまに心臓がドキドキする」

「便秘が酷い。薬を飲まないと出ない。ハンストをはじめてからは薬は飲んでない。便秘のせいで痔にもなっている。」

「痔が変。手術したい。(入管の医者から)薬を貰ったけど、検査も診察もしない。話を聞くだけ。出された薬は、浣腸みたいのと、飲み薬。ハンストをしてからは、飲み薬の方は飲んでない。浣腸は使っている」

「2回、外の病院へ行くためのアプリケーションを書いたけど、キャンセルされた。(入管の職員は)「血が出るようになったら(病院へ)連れて行く」と言ってる。悪くなるのを待っている」

 

・「難民申請は外にいる時に2回、収容所に入れられてから2回した。いつもダメ。

 

母国はは汚職がひどくて、大統領選でも賄賂を使ったり、麻薬の問題が深刻だった。難民申請の時に、資料として当時の政治活動をしている時の写真も提出してある。

日本に来たのは数年前。旅行ビザで来た。旅行ビザの後は、難民申請をして、在留特別許可を受けて日本で生活していた。在留特別許可のビザが出てからは、2年くらいは平穏に暮らしていた。その間は、姉に紹介された幟を作る仕事で生計を立てていた。

その後に、難民申請を却下された。そしてオーバーステイだと言われて、そのまま収容された。それからは今日までずっとここにいる。難民申請を却下された理由も、外に出られない理由もわからない。もうすぐ3年以上。つらいです。」

・「親戚が東京で暮らしている。日本人と結婚している。仕事のビザで日本に来た。

父はもう亡くなった。母は本国で無事でいる。」

 

・「一緒にハンストしてるのは、アジアの方と、中東のひと。

フルネームは…わからない。みんな名前難しいよね。次話すまでに確認しておく。」

・「ここにいる人、最近3人帰った。まだずっと残ってる人も、子どもいるとか、旦那さんいるとか(いろいろな状況の人がいる)。なんで(収容)長いですか。辛いです」

 

「ビザを貰って日本で普通に暮らしていたのに、どうして難民申請が却下された途端にオーバーステイ? 入管職員は、強制送還もできると言う。私は政治活動をして、国に帰ったら無事で生きられるかわからない。私が国に帰って、何かあったら責任取れますか?」