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#FREEUSHIKU 東京入国管理局面会記録_0502

今回の面会について

 

5月2日、ツイッターのハッシュタグ #FREEUSHIKU の有志は、品川にある東京入国管理局を訪問し、強制収容されている外国籍の方々と面会した。以下は、長期収容の現状について「外に伝えたいこと」を聞いた記録であり、できるかぎりご本人たちの言葉遣いを残している。ご本人の希望により、一部の方はお名前をそのまま記載している。

 

面会に応じてくれた方のほとんどが共通して訴えたのは、無期限長期収容が招く深刻な健康問題、収容所内における医療の劣悪さ、外で待っているご家族の逼迫した状況であった。収容所の環境について、自傷によって抗議した方もいる。近隣の病院に行く際、手錠と腰縄をつけられて「動物のように」連れて行かれるといった扱いに、強度のストレスやショックを受けている。職員が、妻に離婚を促すなど、信じ難い非人間的扱いを受けることもある。食事の劣悪さも、強制的に収容された方々の多くが口を揃えて語るところであり、収容後に何らかの病気にかかっている人が多い。

 

面会後、#FREEUSHIKU に共感した70名以上の市民が、建物の前に集まった。「みなさんのことを忘れません、何かします」「入国管理局は人権を守れ」と声を出すと、建物の中の方々から「ありがとう」との声が繰り返し聞こえ、こちらに手を振っている様子も遠くから見えた。「人権まもれ」というコールに応じる声もあった。私たち日本社会の人間は、以下に当事者の方々が述べているような状況を放置している。「恥ずかしい」「あってはいけないこと」というのが、#FREEUSHIKU 行動に参加した私たちの共通する思いだった。

 

面会の記録

 

メフメット・チョラクさん(トルコ:クルド人:2004年来日、今回は本年1月11日に収容)Aさん(トルコ:クルド人:2001年来日、今回は本年2月5日に収容)

 

メフメット・チョラクさんは、開口一番、日本が加盟している難民条約を話題にした。クルド人であるチョラクさんとAさんは、トルコで熾烈な差別と弾圧を受けていた。命のために、難民条約に加盟している日本に来た。だが難民申請はなぜか却下され、仮放免と長期収容の強制的な繰り返しを長年続けてきている。日本で生まれた子供たちにも保険証がなく、風邪にかかって病院に行くだけで、2万円から3万円もかかってしまう。Aさんは過去に脳腫瘍の手術のために500万円を自費で支払った。てんかんの持病もあり、身体的に危険な状態が続いている。検査の予定があるが、入国管理局に収容されているため、受けられるか分からない。今回の収容も、なんとか生活するために1〜2日のアルバイトをしたことが、仮放免中の法令規則違反とされた。チョラクさんは、突然、期限もなく何百人ものひとを入国管理局に長期収容するのは、税金で運営する施設として、そもそも不合理ではないかと疑問を述べた。チョラクさんやAさんたち、日本に住むクルド人は、日本社会の人々と共に生きたいと願っている。熊本地震の際には、2ヶ月駅前で募金を集めた。被災地でも支援活動をしていた。その後、入国管理局によって、劣悪な収容施設に無期限で収容された。難民の規定にあてはまるのに、難民申請は却下され、日本社会からもトルコからも離れた収容所に入れ続けられている。メフメットさんは、この期に及んでは、名前も出してこのことを日本の人々に伝えたいと願っている。「テレビに顔を出すことも厭わない覚悟です。」

 

Dさん(トルコ:クルド人:19歳で来日して6年、2017年11月から収容されている)Cさん(ペルー:日系人:2017年10月から収容されている)

 

DさんとCさんは、ともに深刻な病状を抱えており、入国管理センターでまともな治療を受けられないことに強い不安を覚えている。センター内では、医師がほとんど検診もせずに、症状を軽く聞きながら本を開いて、「あなたはこれです」と病気を指定するだけ。トルコでクルド人として熾烈な弾圧にあったDさんはまだ24歳。収容されて以来もともと弱かった歯がぼろぼろになっている(面会して一目で分かるほどであった)。治療を頼んだが、抜歯しただけで、きちんと見てもらえず、痛みが苦しい。一方、日系ペルー人として日本にいる親戚を頼って来日したCさんは、呼吸器に問題をかかえており、呼吸器の医者にかかる予定だったが、入国管理局はなぜか内科医を連れてきた。さらに、DさんとCさんは、ともに極度のストレスのために顔面麻痺を煩っている。これについても、入国管理局では鎮痛剤をもらっているだけで、治療といえる治療を受けられない。入国管理センターの収容所から近隣の病院に連れて行かれる場合は、手錠をかけられたうえで腰縄をつけられ、まるで動物のように扱われる。この動物のような扱いが本当に耐え難く、心身がぼろぼろになっていく。Dさんの体には、トルコで警察から受けた殴打や刺傷の生々しい跡が残っている。ともに日本に逃げてきた両親も、クルド人としての武装闘争などに関わったわけですらないが、トルコでは徹底的に弾圧される。トルコに住むことはできない。しかし、日本の入国管理センターに強制収容され、ときに虫や髪の毛の混入した食べ物、同じ種類の冷凍食品を、何ヶ月も、何年も食べ続けなければならない。日本で家族と平和に暮らして、働きたいのに、期限も知らされずこれほど長く収容されることが本当につらい。Dさんは、茨城県牛久の入国管理センター内で起きたインド人男性の自殺についても知っており、その話題になると、数分のあいだ言葉を失い、茫然と涙を流していた。Cさんは、「家族を持っているひとや、病気のひとを優先で出してあげてほしい」と強調していた。

 

Rさん(トルコ:H-7ブロック)

 

Rさんは、5年前から難民申請を行っているが、認められていない。かといってトルコに帰る選択肢もなく、やむを得ずオーバーステイになっている。3ヶ月前には結婚したが、今回、はじめて入国管理局に強制収容された。弁護士には、6ヶ月はかかるのではと言われている。無期限なので未来がまったく見えない。仮放免申請はすでに2回行っている。Rさんによれば、オーバーステイでも、結婚してから捕まるパターンが多い。入管職員は、Rさんの妻に、離婚を促す。今日は妻も面会に来たが、11時40分に始まって、与えられた20分よりも10分近く早い時刻に時間切れと言われてしまった。こういうことは、面会のときによくある。3階にいるスーツの職員は、「(国に)帰れ」と言ってくるが、その職員が仮放免の判断をする人でもあり、つらい。収容中に収容者同士でけんかをするとブロックを移動させられるが、Rさんは移動したことはない。なかには刑務所から来た人もいて、悪い話をもちかけられることもあり、なぜこういう環境なのか、人をかえって悪くしてしまうのではないかと心配している。

 

Hさん(トルコ:A-4ブロック)

 

今日(面会日)で、強制収容は6ヶ月と12日になる。ご飯を食べても、吐いてしまう。吐いたものには血が混じる。腸の働きもおかしい。眠れない。外で待っている妻にも、腎臓結石(診断書を見させてもらったが、尿管結石かもしれない)という病気がある。妻には手術が必要で、3月25日に手術が予定されていた。1歳、5歳、9歳の子供の面倒を見てくれる人がいないため、妻の手術と入院のあいだだけでも、仮放免で子供の世話をしたい。そのために仮放免申請を3回出したけれども、認められなかった。やむを得ず、妻の手術は延期になった。薬でなんとか耐えているが、このまま良くなるとは思えないし、本当に困っている。頼れる人もいない。子供の面倒を見てくれる人がいるならば、妻の手術に踏み切りたい。仮放免の申請のとき、「私たちは動物じゃない」と抗議した。担当職員は、「嫌なら自分の国に帰れ」との返事だった。メンタルやフィジカルをやられて、自国へ帰る難民申請者も多くいる。Hさん自身の収容は、これで二回目となる。前回は8ヶ月収容されていた。

 

CBさん(トルコ:C-3ブロック)

 

15年前に日本に来たCBさんは、ビザを工夫し、出入国を繰り返しながら今まで日本で暮らしてきて、日本社会への愛着もある。入管に捕まるのは3回目。1回目は7ヶ月収容。2回目は8ヶ月収容。今回は4月13日に収容された。仮放免は、2回とも1.5ヶ月程度。日本人の妻と暮らしている。子供はいない。ただ収容されるだけなら、刑務所の方がマシだと思う。「体が動かせるし、刑務所の中で働いたお金は出たときにもらえるでしょう?ここでは働けないし、何もする事もないし、太陽も見れない。」「運動の時間は決まっていて、好きな時間には行けない。ヘルニアになった。診てほしいといっても、腰の痛みについての本をその場で読んで、はいこれと薬を出されるだけだ。」「タバコが吸いたい。タバコが大好きだ。」

 

Gさん(トルコ:C-3ブロック)

 

Gさんは、兄が難民で日本にいる。自身は日本で会社を経営しているものの、在留が認められずオーバーステイとなり、はじめて捕まった。今日(面会日)までに、5ヶ月と20日、無期限で強制収容されている。「刑務所から来た人も収容されている。私は何も犯罪を起こしていない。それなのに同列にならばされるのはおかしいじゃないか。」「ご飯に髪の毛や虫が入っている事もある。汚い。皿も綺麗には洗ってない。人とは思っていないと思う。入管にいるドクターは本当のドクターではない。問診しかしない。いじめていると思う。」「入管は法律に則って動いていると聞かされるけど、恣意的だよね。ここに入る前に勉強した。難民申請していて、収容される前に連絡があったとき、話がしたいと言われたけど、あーこれは捕まるなと思って荷物まとめてここに来た。特別許可は難民では取れないのではないか。」

 

イブラヒムさん(トルコ:23歳)

 

徴兵拒否のために祖国にいられなくなり、19歳で日本に来たイブラヒムさんは、日本人の妻からもらったミサンガやタトゥー、ピアスを大切に身につけている。牛久の入国管理センターに強制収容されていたこともある。若い時代のほとんどを、日本の収容所で過ごしてきた。タトゥーも入れているが、タトゥーを入れる痛みより、ここで過ごす心の傷みの方がとても辛い。トルコやパキスタンからの難民が、仮放免を3〜4回ほど申請しても、ダメと言われていた。難民のご家族が、東京入国管理局の6階に行って「パパを返して」などと訴えていたが、それもダメだと4月に決まった。イブラヒムさん自身は、あと二日で、今回の強制収容が7ヶ月になる。4ヶ月くらいで出られると思っていたが、そうならなかった。仮放免申請を出してから、今日(面会日)で44日が経つ。「悪夢をいつも見る。2015にも一年2ヶ月ぐらい入っていた。最初、運動場に面した真っ暗な部屋に入れられた。部屋を変えてもらうよう何回も言ったが、聞き入れられずに、首を切った(首の傷がまだ生々しい)。入管職員は自分のところに何も聞きに来ないし、教えてくれない。インタビュー(聞き取り調査的なもの?)してこない。ただ閉じ込めておくだけ。外部の精神病院に連れて行かれる。高速を使ってとても遠い、とても大きい病院。気分が落ち込んでると言われる。お医者さんについて、一ヶ月に一回カウンセリングをしているが、全部薬でなんとかしようとする。とても強い薬を飲んでいる。」

 

Bさん(トルコ:クルド人、24歳)

 

Bさんは、日本に来て3年5ヶ月。強制収容は二度目で、一度目はすぐに解放された。今回は、約9ヶ月になる。その間、仮放免申請を3回出し、「難民として認めてもらうために、何でも正直に伝えた。トルコ人としての事情や、アスケル(徴兵)には行っていないことなど。帰ると言っても国が無い。飛行機のチケットの担当(執行部門)が「帰れ」としつこい。日本に来てからは、解体の仕事をしていた。トルコ人は、ケバブとか解体の仕事が多い。差し入れしてくれたプリント(渋谷でのアクションや署名)を見たけど、自分には英語がわからない。トルコ語、クルド語、日本語が話せる。イラン語は少し話せる。」

 

Iさん

 

Iさんは、結婚して1年になる昨年11月に強制収容され、妻と赤ちゃんと引き離された。仮放免申請を二回出しているが、認められない。妻は週に一度、面会に来るが、結婚証明がまだないので、ガラスの仕切りのない面会ができない。「赤ちゃんと触れ合いたい。なぜ、全部書類を提出したのにできないのか。」兄も収容されてしまい、兄の妻と16歳の息子が外で待っている。しかし兄の妻は病気で、16歳の甥っ子は独りきりだ。Iさんは日本に来て会社を作ったが、ビジネス・ビザが取得できず、会社がつぶれてしまった。デモやアピールをしても、入国管理局の職員の態度は変わらない。収容されている周りの人達は、身体を弱らせている。食事がひどい。

 

Mさん

 

外からの抗議に「ありがとう」と言ったら、職員が4〜5人来て、無理矢理連れて行かれた。Mさんは、6月にはトルコ選挙だ、と選挙の話を楽しそうにする。「元気だよ!」と言うが、面会中、貧乏ゆすりが止まらない。

 

公開日:2018年5月4日

文責:#FREEUSHIKU 2018年5月4日行動・参加者有志一同