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2018.9.5 東京入管面会記録

2018.9.5 東京入管面会記録

 

 

この日はかなり混んでいました。

オープンの8時40分に着いたにも関わらず、1階申し込み場には人がたくさん。

 

Sさん(スリランカ出身 女性)

 

会えなかった間にも何度か手紙をくれたSさん。

 

 

先週、職員からひどいことを言われてとても辛かった。

友人に頼んで「洗濯ネット」を送ってもらったのだけど、それが入管の洗濯機の規定タイプではないもので、預かり(※)になってしまった。(※被収容者個人の保管場所。規定に反した差し入れ品などはここで留め置かれ、外に出るときに渡される。)

 

その際、職員から「あなたはいつまでも帰らないで、こんな風に規定違反のものばかり持ち込んで、迷惑だ」などと言われた。

 

ネットを送ってくれた友人は日本語が話せなくて規定のサイズのものを買えなかっただけだし、そもそもそれは自分が責められることではないと思うのだけど、すごく厳しく言われて、辛い気持ちになった。

職員の人は、うるさい人や、話が上手な人にはなにも言わないで、静かな、あまり言い返さない人間にばかりひどいことを言う。

 

そのことがあってから体調が悪くなり、週末には38.5℃の高熱が出た。胸がドキドキし血圧も141になった。

外の病院ではなく、センター内の病院に連れて行かれたけれど、何も処置してくれなかった。

戻ってからは、隔離のためにカメラ付きの個室に移されて、そこでひとりで寝ていた。

 

昨日には平熱に戻ったので、もとの3人部屋に戻してもらった。カメラ付きの部屋は恥ずかしいし居心地が悪い。

 

熱が出てる間はほとんどものが食べれなかった。(※Sさんは入管の食事があわず、平常時でもパンとミルクのみを食べています。スープなども一切なし。 今回はこのパンすら食べられなかった、ということです)

 

次回の面会までに、「規定サイズの洗濯ネット」と「アームカバー」そして「強皮症のことを知るための資料(英語)」を用意する、という話をして、面会終了となりました。

 

Aさん(スリランカ出身 女性)

 

膝が痛いと話していたので、膝用のサポーターを差し入れました。

喜んでくれてよかった。

 

Aさんは「ビッグママ」という雰囲気の優しい女性で、他の被収容者からも「ママ」と呼ばれて慕われています。

しかし、今回は終始暗い表情で、鬱屈した感情を顕わにしていました。長期収容が長引き、体力的にも限界にきているのだと思います。

 

入管は「精神拷問」だ。

刑務所よりさらにひどい。

Devil Governmentだ

Evilだ

 

日本に来る前、日本についてのいいことばかり聞いていた。

今はちがう。

日本はひどい。

 

10年も難民として訴えているのに

難民認定がでない。

というか、難民認定された人を周りで見たこともない。

 

自分たち家族は複雑な事情があって、母国から日本にきた。

激しく攻撃を受ける状況で「難民の証拠」なんて持ってこれると思うのか?

証拠が出せないとしても、認定されなくても、わたしたちは「難民」。

わたしたちが難民でないなら、だれが難民だといえるのか。

 

というか、そもそも、どうして日本は「難民条約」に入っているのか。

認定なんてしないのに?どうして?

 

先週、同じ時期に収容された60代と40代のミャンマー人が諦めて帰国した。

でも、わたしは帰ることができない。

帰ったら殺されてしまうから。

 

息子が日本にいて、保証人になってくれてるんだから、わたしが逃げるなんてことはありえない。

 

外に出してほしい。

 

 

 

Mさん(ミャンマー出身 女性)

 

リンパの痛みがあると医者に話したら、今までの薬に加えてうがい薬を出してもらった。

熱はない。

痛みが収まらなければ外部の病院に診せるといってもらえた。

 

 

故郷は、現在「ロヒンギャ危機」の現場となっている地域。

自分の家があったところは、この間燃えてしまった。

帰ることはできない。

 

入管では長期収容の人がとても増えていて、仮放免がなかなか出ない。

日本人と結婚している人は、まだ可能性があるけど、そうじゃない人たちには仮放免もVISAもでない。

 

日本の雑誌に日本の難民認定が0,2パーセントと書いてあった。

だったら、日本はなぜ難民条約に入っているのですか。

 

わたしたちは、とにかく外にでたい。

別に日本政府にお金をもらいたいわけじゃない。

ただ自由にさせてくれたら、自分で働いて、自分で暮らすことができる。

 

Tさん(イラン出身 男性) {同ブロックのBさんと一緒に面会}

 

前回、BさんHさん兄弟から「ひどい状態のイラン人がいる」と聞いて、今回初めてお会いした。

 

Tさんは品川入管に入れられて約3ヶ月ですが、全く食事を摂ることができない状態が続き体重が55kgまで落ちています。(身長を聞き忘れましたが、大柄な男性ですよ..)

体力も落ち、自分で歩くのが難しいため、車いすで面会室に入ってきました。(今回は同ブロックのBさんも面会に同席してくれました)

一目でわかるほど衰弱しています。

 

きてくれてありがとうございます

弁護士の人ですか?(同席していたBさんが「ちがうよこの人はボランティア」と教えてくれる)

 

何も食べられない。

食べても吐いてしまう。

栄養剤と薬しか摂っていないけどそれすら吐く。

何も食べてないけど昨日も2回吐いた。

ここに来てから5回、汚れたベッドのシーツを取り替えた。

いまはシーツが汚れないようペット用の布(?)で覆っている。

 

薬の量はすごく多い。

よくわからない薬を15種類くらい出されている。

 

以前に胆石症の手術をしたけど

いまも臓器()に問題がある。

交通事故にあって手術した下顎も治療中で、もう顎の中の器具を外さないといけない。だけどこの中では治療を受けることができない。

 

身体中が痛くて、眠れない。

本当に本当に痛い。辛い。

もう死んでしまう。

 

何度も気を失って倒れている。

ここ(オデコの真ん中に湿布を指して)もそう。

部屋でひとりのときに倒れてしまい、ベッドに頭をぶつけた。

 

2日前、子供が生まれた。

出産前後は危険なので、奥さんに付き添いたかったがここに収容されているのでできない。

「付き添いするように」という病院からの書類もあるのに、どうして一緒にいさせてくれないのか。

奥さんも不安で泣いている。

小学生の娘のことも、とても心配だ。

いったいどうすればいいのか。

 

3ヶ月前に72kgだったけど、今では55kgになった

週に2kgずつ減っている。

このままいけば、いずれ自分は消えて無くなってしまうだろう。

毛もたくさん抜け、爪もぼろぼろだ。

 

Tさんは、ここに入れられる前の写真を見せてくれました。

富士急ハイランドで娘さんを抱きかかえ微笑むTさんは、目の前にいる痩せこけた男性とはまるで別人のようです。

たった3ヶ月でここまで....

これはまぎれもない「虐待」です。入管の非道さに怒りがこみ上げてきます。

Tさんは(そして多くの被収容者)はもはや収容に耐えうる健康状態ではありません。

そしてそもそも、こんな環境においておかれていい人なんて、いるはずありません。

 

Tさんは現在、仮放免を申請して1ヶ月ですが、すでに「非常に危険な状態」です。

法務省、および入国管理局は、Tさんを解放してください。

このままでは入管のシステムのせいでTさんは命を落とします。

すぐに解放してください。

 

食事も点滴も用意しない。

適切な医療も、介助もせず、ただただ放置する。

病気にさせて、それを悪化させ、絶望に追い込む。

 

差し入れも許さず

生まれたばかりの子どもに触れることさえ許さない。

「死んでしまう助けてください」という切実な訴えを、まじめに聞こうともしない。

入国管理局は、いったい何がしたいんですか。

 

(#FREEUSHIKUメンバーS氏面会)