緊急ステートメント ー飢餓死したナイジェリア人男性についてー
飢餓死したナイジェリア人男性について
10月1日、法務省は、今年6月に長崎県の大村入国管理センター内で亡くなった男性の死因が「飢餓」であったと公表した。法務省は、ハンガーストライキを行なっていたこの男性はセンター内外での治療を自ら拒否していたので、「対応に問題はなかった」と弁明した。彼の名前はサニーさんという。
私たち#FREEUSHIKU は、彼を死に追いやったのは収容であり、とりわけ長期収容であったと考える。収容という対応が、彼を死なせたのである。人を死なせる「対応」に問題がないとは言えない。
サニーさんは、治療を拒んでいた。医療アクセスや収容所内の環境以上に、彼は収容そのものを拒否していた。私たち日本社会に住む者は今回、「入管庁はなぜ治療しなかったのか」と問う以上に、「なぜ収容し続けたのか」と問うべきである。サニーさんが死をかけて求めたのは、収容継続を前提とする「治療」ではなく、収容の終わりであった。
法務省の調査報告によれば、サニーさんは平成23年8月実刑判決が確定して刑務所に入り、仮釈放された後、3年7ヶ月も収容されていた。彼は、平成30年6月に4回目の仮放免申請が不許可になって以来、仮放免を申請していない。長期収容が彼の心身に与えた影響は、私たちの想像を絶する。
自分で治療を拒否したのだから入管の「対応に問題はなかった」という主張が誤りであるのは、(長期) 収容をやめるという対応が、ありえたからだ。入管はその対応をとらなかった。
収容制度がある限り、私たちは、制度の変革を一歩一歩求めていく。医療アクセスなど収容所内の環境を改善することは、収容されている外国人の人権を少しでも尊重し、すでに続出している病死者を減らすうえでも必須である。
しかし、今回「飢餓死」した方の場合、収容継続そのものを絶対的に拒否していた故人の意志を、日本社会はまず正視すべきである。
私たちは、彼の犯罪歴を強調する報道が少なくないことを憂慮する。事実を報じることは重要だが、こうした報道は、犯歴がある場合は長期収容もやむを得ないというニュアンスを伝えてしまいかねない。
犯罪歴を報道する場合は、同時に、次の事実を報じるべきである。入管が犯罪に対する刑罰として外国人を収容することは、法的に許されていない。サニーさんの場合も、犯罪をおかしたあと、まず刑務所で刑罰を受けている。
刑罰を受けたあと、日本国籍を保有する者は日本社会に復帰する。だが彼は、外国人であったために在留資格を取り消され、収容された。これは、彼が身柄を拘束された二度目の期間であり、もはや刑罰ではない。
収容は、彼の行為を罰するものではなく、彼の外国人としての存在を排除するものであり、刑罰とは違って期限がない。人間を無期限に収容することは国際機関からも拷問として批判されており、ヨーロッパ諸国をはじめとする諸外国には、非正規移民の収容に一定の期限がある。
ところが日本は全件無期限収容を続け、収容所を自主退去の説得手段として用いている。これは制度の濫用であり、法律の趣旨にも反している。
私たち#FREEUSHIKU は、まず収容の有期限化を求める。さしあたり、慣例的に一定期間で仮放免される運用に戻すこと。もちろん、法改正して正式に収容を有期限化することが望ましい。収容に一定の期限のある国は珍しくない。無期限収容がなくても、社会に格別の問題は起きていないのである。
私たちは、収容所のより公正かつ速やかな調査を求める。さらなる絶命を防ぐためにも、今回のように調査結果の公表が遅れることがあってはならない。死亡などの決定的な事件については、人権擁護を専門とする第三者調査団を設定するべきである。
別の制度は、可能である。私たちは入管行政を直ちに変えるべきである。
2019年10月3日 #FREEUSHIKU一同